「師」との別れ

これまでの人生で友人や知人・同僚や恩師など「死」を伴う別れに度々、遭遇してきました。遠い異国で事故に巻き込まれた無念の死や、志半ばでの病死など、思い起こすと今でも残念でなりません。

その都度、故人の生き方や言動を思い返し、悲しみに支配される時間と、それを乗り越える時期を経て、彼らの生き様を自分の心に焼き付けて来たように思えます。

 

四か月前「我が師匠」と仰ぐ方が急逝され、胸に大きな風穴が開き、虚空を彷徨うような喪失感に陥っていました…。

 

時折弾ける師の激しい感情表現に、幾度となく萎縮し冷や汗を掻きましたが、それが師の「情愛」裏返しであることに気付くまで、時間を費やしました。自分が今日まで築いてきた狭い「価値観」の打破には、私の呼吸の間隙を観て、直球の言葉を投げ入れて下さいましたが、それが「肚」に本当に落ち着くまで、自己否定に苦しんだ日々もありました。

 

野口整体の思想哲学を理解し、しっかり咀嚼する時期が訪れるまで「待つ」という姿勢を貫いて下さった「師」のお陰で、肚の底から湧き上がる生き方の道標と、心身の調和の大切さを自覚することができました。

 

世間体や世の常識、他人の目に囚われることなく、信ずる「道」を命懸けで追究する師の姿に、底知れぬ深みと魅力を感じながら「畏怖」に似た感情を抱きつつ、教えを乞うた月日でした。

 

猛烈でエネルギーの塊のような人柄から放たれる、厳しい言葉と教えの数々が、私の潜在意識の奥底に叩き込まれていることに気付きます。

羅針盤を失ったようで、今後どのように自分に向き合っていくかと、不安と寂しさが交錯していますが、何故か満ち足りた勇気が湧いてきます。

 

良き出逢いこそ人生の「宝」である……心より感謝を込めて、そう言い切れます。

私もいつの日か師のように、人を良き方向に導ける人物になりたいと願います…。