自意識過剰になりやすい人へ

自分を責めたり苦しめたり、こころの自由を奪うような思考が浮かんだ時「そうじゃない!そんなことはない!」という想像も同時に浮かび上がる「こころ」を育てましょう。

 

私は周囲の人から、どのように思われているか?

クラスの皆んなは、どのように僕のことを思っているのか?

会社の上司・同僚達は、どのように私を評価しているか?

近所のおばちゃん連中が、私についてどんな噂話をしているか?

 

「他人の眼」が気になり、学歴や仕事・家庭や家族・趣味や生活・プライベートまで関心を持たれているのではと思い、不安や恐怖に陥ってしまうことがあります。それが必要以上に「過敏」になると、監視されているような気持ちになり、耐え切れず人目を避け、こころを縛ってしまいます。

 

 ここで禅の世界で目指す「「無心」ということを考えてみます。

 

「無心」とは何も考えず、頭が空っぽになることではありません。

 

仮に「他人から悪く思われている」

「周囲の人から批判され、見下され、バカにされている」

「世間が自分のプライベートに感心を持ち、常に見られている」

などと、頭に浮かんだとします。

 

こんな際、それらを完全否定する空想も浮かんでくることが健全です。

「他人は誰も自分を悪くなど思っていない」

「周囲から批判などされていないし、見下しも、バカにもされていない」

「世間はそれほど自分に関心は無いし、周囲から見られてもいない」

 

そしてその結果、どちらの思考にも捉われず、不安に陥らない境地を目指す。どちらにも偏らず、真ん中の道を選択して悠々と歩める生き方……。

 

 これが「無心」であり「無我」であり「天心」となる方向です。

 

他人の眼・周辺や近所の眼を気にする余り、自分の行き場がなくなってしまったら、自分にとって良いことやプラス面も想像することの出来る「身体とこころ」を育てることです。

 

大切なことは「不快なこと・嫌なこと・マイナス的なこと」を連想し続けている「自分」の存在にまず気が付くこと…。

 

その自覚さえ出来れば「よい空想・よい想像・よい発想」の出来る自分を育てていくことがが可能になります。

 

自分の「良いところ」を見て「長所」だけを見て、まず生きる。

その良いところを伸ばすことに思考を集中させましょう!