寛容であるということ

現代の風潮として、ネットでの中傷や批判、抗議の電話やクレームなど、いたる所で耳にする世の中になりました。

顔が見えぬことをこれ幸いと、気に入らぬ事は小さな事でも、攻撃していく姿勢や、謝罪を要求する行為が目立ちます。

こんなことを言ったら大人気ない、恥だなどという羞恥心や価値観が薄れてしまいました。

 

例えば、市営バスがバス停に3分遅れて到着した、電車の到着が3分遅れたといって、すぐに苦情が来る世の中。

 

とてもギスギスしていて、なにか居心地が悪く感じます。

 

周囲の交通事情や諸々の諸事情を考えれば「まぁ、仕方がないか…」という、おおらかな心も自然と働らいてきます。

 

絶対に許せない!頭にくる!

 

という感情が常に湧き上がってくる身体は、こころに弾力がありません。

からだにも弾力がありません。

 

心とからだに弾力があれば「寛容」になれます。

自分にも他人にも優しくなれます。

少しぐらいのことは許せる「度量」が生まれてきます…。

本来、人間の持っている能力です。

 

怒りや憤りを抱くことや、その感情を持ち続け、また無差別に攻撃していくことへの「不快」さを自覚できれば、人も世の中も変化していくと感じます。