行動の裏に隠れる「不安」

人はそれぞれ、何らかの不安を抱き、その不安を解消しようと、様々な行動を意識的に、また無意識に起こしていきます。それが他人にとっては、理解され難い場合も、多々存在します。

 

古い友人から「肺炎に罹り入院している。牛乳とバナナを差し入れして欲しい……」と連絡があり、お見舞いに行ってきました。

 

彼はボディービルダーですが、レントゲンを診た医師から「老人だったら死んでいます」と言われたそうです。

 

入院先での彼は、食欲がないのに、無理して牛乳とバナナをからだに流し込みます。そして隠し持ってきたウエイトを背負い、フラフラしながら、病棟の非常階段を登り降りして、トレーニングを休もうとしません。

 

彼はプロではないので、そこまでからだを鍛える必要はありません。

運動を続ける体力と気力は超人的ですが、看護師さんからは、狂人扱いされる寸前です。

 

「しっかり回復してから、トレーニングを始めた方が、パフォーマンスは向上するよ」と助言しても、聞く耳を持ちません。医師から安静にするように指示されても、まったく守れません。

 

いったい何が、彼をそこまで追い込むのか……考えながら観察すると、ひとつの答えに、たどり着きます。

 

トレーニングを休んだら、筋肉が小さくなってしまうという「不安」を強く感じています。またトレーニングを中断したら、自分が弱くなってしまうという「恐れ」を抱いています。

 

この不安と恐怖を感じる度合いが、普通の人が感じるレベルを遥かに超え、大きな「脅威」として浮かんでくるのです。これは彼の感受性であり、無意識に大きな不安を描いてしまう、彼のエネルギーの方向性です。

 

不安が更なる妄想を呼び、じっと静かに静養していられないのです。

 

自らが無意識に「妄想」を作り出し、無意識に「不安」に陥ることは、誰にでも起こりうる出来事です。

 

身体が悲鳴をあげているにも拘わらず、運動し続けてしまう自分を、客観的に観察できるようにならなければ、再度、自爆してしまいます。

 

友人が真の安らぎと、心の平和を得られるように、継続したアプローチを続けようと、決意した一日でした。