身体に聞く

人間は年齢を重ねるにつれ「消エネ」型になっていきます。

若い頃とは異なり、食事の量は少なく睡眠時間も短時間で充分と感じるように、変化していくのが自然です。

 

Tさん(70歳代男性)は3年程前から「うつ病」傾向となり、様々な妄想に苦しみ、精神安定剤と睡眠導入剤を服用されています。

特に「死」に対する恐ろしさが頭から離れず、眠れないことや食事の量が減ったこと・血圧が安定しない事・体力が落ちたこと等々「自分は何かの病気ではないか?ガンではないか?」と常に不安に陥ります。

妄想や不安が起こるたびに、じっとしていられず何度も病院に足を運び続けています。

 

Tさんは60代後半までスポーツや山歩きなどで鍛え、今でも頑丈な身体をしておられ、血圧が少し高い以外は持病はありません。現在、からだを動かそうと思う気持ちが湧かず、一日中テレビを見て過ごし、ウトウトと寝てしまいます。昼寝を重ねているため夜は目が覚めて、睡眠を取った実感が湧いてきません。

 

食べる事が健康になる唯一の方法だと信じ、テレビ番組で得た情報を元に、食欲が無いにもかかわらず栄養のある食べ物を無理に口にしています。しかし、からだを動かす事はしないため、余分なエネルギーは溜まる一方であると判断されます。

 

人間は不思議な事に、余剰エネルギーを溜め込むと他人を批判したり、責めたり、羨ましく思ったり、或いは自分を責めたり、自分を苦しめる不安や妄想がさらに助長されたりと、そのエネルギーがマイナス方向に働いて消費される傾向があります。

 

Tさんの「食べる」という行動を見ますと、頭で食べているのであって、からだで食べているのではありません。頭で考えながら食べる・知識で食べているのであり、からだの欲求に従い、本能で食べていないという事です。本来、からだが必要としていない食べ物を、無理矢理にからだに入れている行為です。

 

からだの声を聞くということは、食べたくなければ食べない・眠くなければ寝ないということが、究めて自然なからだからの欲求であるということです。頭で考えるのではなく、からだの感覚や欲求に敏感に従う。その感覚を意識していくことが、知識以上に大切ではないかと、私は感じています。

 

 

Tさんへのアプローチとして

 

自分の体を信頼する・自身のからだの感覚を感じ取り、己を信ずる。

何ものにも動じない「我」を取り戻すことを目標とします。

 

思考がマイナス方向に働きすぎるため、迷いが生ずるたびに「正座」を奨励し、合わせて腹式呼吸に取り組んでいただきます。

腰を立てて座り、上半身の力を抜き、下半身に気が集中していくことで頭に上った気を下げます。足のしびれは生きてることの証でもあり、ある程度の痛みを実感として味わうことも、生きている「我」を自覚する一助です。

 

年齢的なこともありますが、何かを新しく始める・取り組むといった、精神的な柔らかさをも失っています。


なるべく体を使い、余分なエネルギーを消費するように、散歩を少しずつ薦めています。

足の指先まで気が届くように地下足袋を履き、五本の指で大地を掴む・親指で大地を蹴るように、かかとで大地の衝撃を感じるように歩く事をアドバイスしております。

「足の裏の感覚を取り戻す」ことで気が下がり、丹田に力が集まり、全身の感覚・自然の欲求がよみがえることを期待しております。

 

テレビ等の情報に踊らされない「自分はこうある・自分はこう生きる」という、医師の言葉のみでなく、己を寄りどころとする「我」が目覚めることを継続してサポートさせていただきます。

 

※このブログはTさんご本人と、ご家族の了承を得て掲載しております。